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HORIZON-Boundary-

’60年代半ばミクロネシのパラオ諸島(当時国連管理統治領・現パラオ共和国)に制作現場を選び5度の旅を試み、北端に位置するカヤンガル(Kayangel is)島の馬蹄環礁内に浮かぶ珊瑚州に仰向き、あくまでも深い群青の天空と対自していた。結果は写真表現に生きる結論には至らずじまいだったが、朧げながらも抽象(境界)概念の領域を瞬時だが認知確認ができた。
削ぎ落とし、更に削ぎ落としシンプルを表現の信条とする。この“構造”を踏まえたうえで、見ること叶わぬ対象(無限縁・抽象)の具現化を試みるとき、私はラピスラズリの天空(心に)に一条の円を描きその内側の一片を切りぬき撮る。
切り取られた側、天空の無限縁(絶対)と切り取ったひとひらの無限縁(相対)の境界は、たぶん無際限抽象が出現すると仮定。 この無限空間論をあえて強辯し、我が写真論に置換するならば、写真表現は抽象をもって真髄(上品)としたいのだ。
HORIZON-Boundary-を理想的と仮定したデジタル三次元空間に表現展示することを想定してこの小文を進める。
「写真(映像)はあくまでも二次元の表現事物(者)だ」を前提として展示(写真表現は展示までを含む創作の相対概念)を試みるとき、無限縁境界具現化の決着として通常“枠”(額)概念の処理がとられる。無限遠の枠、切り撮ったひとひら(一辺)の内側つまり作品内に綴じ込められ付随する周縁は、即ち“砌”(みぎり)なるものは切り取った一辺内に付随すべきなのか、無限縁“∞”総体側の切り残された周縁に残存するものなのか。
写真家の私事(私の場合)としたうえで、二次元表現物の縁(額)概念を破棄したい。シンプルな無限縁なる抽象概念のみの砌でありたい。提示したHORIZON-Boundary-(写真表現)に無限縁なる抽象の“砌”をこめて(内包)表現の相対・絶対を試作して提示した。一辺を開放させ、囲みきらぬ無彩色の見切り“砌”、理解戴けるだろうか。
三次元螺旋キューブ状(管径10m程)の室内空間、無彩半透明(昼光色)で明るく、無特定光源での理想的に浮遊する写真表現(空間)を自作で試みたい。
視る、触ること叶わぬ無限縁境界“構造”概念を写真表現でシンプルに表象する、表現者終末の使命感をメモした。 写真家・新正 卓(参考文献:意味の変容 森 敦 筑摩書房 1991年3月26日刊)

HORIZON-Boundary-