AMERICAN PARODY

パロディーとは

山岸章二
いかにあれなる童共は何を笑ふぞ。なに我が髪の逆様なるがをかしいとや。げにげに逆様なる事はをかしいよな。さては我が髪よりも。汝等が身にて我を笑ふこそ逆様なれ。面白し面白し。これ等は皆人間目前の境界なり。それ花の種は地に埋って千林の梢に上り。月の影は天に懸って萬水の底に沈む。これ等をばみな何れが順と見逆なりと言はん。
― 謡曲 蝉丸・延喜第三皇女逆髪の言葉
ほう。これはアメリカン・パロディーだ。現像があがってきたとき、まずそう思った。このアニタという女性は、戦後さまざまな面でアメリカニゼーションという、大きな波を被って暮らしてきたわれわれに、わたしはアメリカの女よ、と微笑みかけているように見える。会ったことはないが、見知らぬ女ではない、その感じはたぶん、映画や雑誌やポスター、あるいは版画などで、とっくに馴染になっている、あの女たちの1人だというようなことだろう。つまり彼女自身を見るというより、さまざまなメディアを通じてつくられてきたアメリカの女のイメージを、パロディーという手法に従い、このモデルをとおして、新正卓は明解に描きだしてみせた、そんなふうに受けとれた。  
 だからこそまた、当のアメリカの男たちからは、ある日こんなふうにしてからまれることにもなった。その男はハリウッドやニューヨークのファッション雑誌がつくりだす“アメリカの女”にもうがまんがならぬとばかり、「これがアメリカン・パロディーだって? とんでもないぜ。てんでファッショナブルで(上流的で)、もとをただせばこれはフランス的なんだ。おかしいよ。フランス人はなにかというとすぐ、アメリカの文化をポップアートの塊、つまりスーパーマンやカウボーイの国と思っているらしいが、ところがどうして、実際はもっとデリケートなものなんだ。おれたちにはこの写真は、アメリカンというよりフレンチにみえるくらいさ。
 だいたいこのアニタってこの女の名前は、ちょっとヤバイんじゃあないの? アニタ・ブライアンって娘がいるんだよ。半年まえまでだれも知らなかったが、いまじゃあすっかり有名さ。ホモは聖書が禁じてるからって、ホモセクシュアル反対運動を起こした女よ。いまアメリカでアニタといやあ、みんなその女を思いだすってもんだ。でも半面教師ってわけで、アップタイトな人間がいかにおかしいか、おれたちに教えてくれた恩人かもしれねえな」  
 まるで「あんたアニタのなんなのさ?」といわれてるみたいだった。まいったなあ。そういえば新正卓の写真はパリ仕込み、アメリカより先にフランスに3年も住んで仕事をしていたことがあった。ひょっとするとこの男、そこのところを見抜いていっているのだろうか?
 いや、しかしそんな事情は知るはずもない相手なのだ。では彼らにとってフランスの文化とはなんだろ? 気になってアメリカ俗語辞典を引いてみた。“french culture[同性愛]フェラチオ:口による男性性器の愛撫”とあるではないか。ひとつの国の文化をとらえて、ああだ、こうだと論じるのは、なかなかむずかしいこと、てんで滑稽なものになってしまう場合もしばしば、かくのごとくだ。
 とは知りながら、お互いやっぱりいろいろしゃべってみたいものなのだ。たとえば、これはもう10年近くニューヨークに住み、そこで自立して生活している、ある日本人の女友だちが、先日久しぶりに戻ってきていうのだ。「メイク・ラブというあの言葉、あれにはいまだに抵抗があるの。愛は自然に、無作意にそこに生まれるものだと、そう教えられて育ったわたしたちには、つくるという単語と、それをくっつけて、直接セックスの行為を指す言葉にしてしまうなんて、とっても味気ない感じだと思うの。おかしいでしょう。これはきっと、もともとの英語ではないはずよ。アメリカ人がつくった言葉にちがいない。そんな気がするの」と。残念ながら口説かれたわけではなく、彼女はそのあとに、調べたわけではないが、と前置きして、それは産業社会の発達の途中で、人間は何でもつくれるという自信から(あるいは必要から)、使われだした言葉ではないかと、住んでみたその国の人々の意識構造を分析してみせた。  もともとこの国の開拓者たちは、その広大な新天地を拓くに当たって、“人為”をもって身を守り、自然や外敵に立ち向かった。それに必要な愛も、幸福も、勇気も、金も、理想を実現するためには、つくっていくべきものと考え、事実彼らはその方法によって、さまざまなことをなしとげ、打ち立ててきたのだ。
 わたしは新正卓の前作「PATRICIA」のなかで“彼はパトリシアの後姿が示したささいなうそを発見し‘’また‘’そのうそにこだわる自分を発見した”と書いた。当然のことながら、そのときそのうそは、忌むべきものとして作者の意識にあったはずだ。うそ、そのつくろい、つくりものを、どう避け、どう取り除くか。また逆にそこに狙いをつけていくべきか、それがこの写真家のもっとも気懸りな次のテーマになっていたはずだ。
 そしていまこの写真集は、作者はパロディーの手法に徹して、積極的にそのうそ、つくりものを、作品のなかに取り込んでいったことを示している。アメリカのつくりだしたひとつの時代の象徴は、この写真家にとっていずれは射抜かなければならぬターゲットでもあったはずだ。パロディーとはもともとその作者が、どうしても自らの力では抜けない相手(認め、憧憬、あるいは敵対しているという理由からでも)、その厳然と自分のまえに立ちはだかるもののまえで、大声で笑ってみせる模倣の行為だ。そしてその笑声が世間に広がって哄笑の渦を巻きおこす、そんな創作の志なのだ。そこには賛美もあり、批判もあり、攻撃さえある。だからこそまたその成果は、どのような批評にも耐えねばならぬだろう。